指揮者としてのマーラーについて書いた本の中に、マーラーがもらっていた報酬が書いてあった。
これまで指揮者の収入など考えたことも無かったが、思いのほか高額で驚いた。
まず、作曲家を目指していたマーラーが、何かの役に立つだろうとウィーン音楽院の教授に言われて、初めてアルバイトで指揮者を務めた場所がオーストリアの温泉町バート・ハル。
ここの観光客相手に夏季だけ営業する定員200人の劇場の指揮者兼雑用係になったのが20歳の時の1880年で、そのときの報酬は今の日本円に換算して月30万円+1公演5000円の出演料。
ここでオペラだけを振っている。
<余談>
<ヨーロッパで指揮者になるにはオペラを振れなければだめだと良く言われるが、確かに、この後もマーラーは生涯でものすごい数のオペラ公演を振っており、日本で普通にあるオペラ以外の曲だけを演奏するコンサートに注力するのは晩年になってからと知って、ヨーロッパと日本の音楽文化の違いを痛感した。
マーラーはいくつもの劇場を渡り歩くが、25歳でプラハの王立ドイツ領邦劇場の第3指揮者になる。
1シーズンに73公演を指揮し(毎週2公演のペース)、曲はタンホイザー、マイスタージンガー、ラインの黄金、ワルキューレ、フィデリオ、ドンジョバンニ、後宮からの誘拐、魔弾の射手などなど。
オペラはみな大曲なので、これらの全部をわずか25歳の時点で指揮できたのはすごいと思う。
例えば交響曲だと4楽章しかないが、オペラの中には沢山の曲が入っていて、速度も表情も一定ではないし、オケのコントロールだけではなく歌手や合唱とも合わせなければならないので、それらを全部把握しておけるとんでもない記憶力を持っていたのではと思う。>
その後、28歳でブダペストのハンガリー王立歌劇場の指揮者になるが、そのときの年俸は1億円。
オペラだけではなくシンフォニー指揮者としても評判が高かったためでもあると思うが、28歳で年1億円とはすごい。
晩年、と言っても亡くなったのは50歳のときだが、超一流の指揮者としての地位が確立し、ウイーンフィルやニューヨークフィルなどの超1流オーケストラを振っていた頃の年収がいくらだったのか。
書かれていないので全く分からないが、別荘を2軒建てたらしいし、あのカラヤンは自家用ジェット機を乗り回していたし、マーラーもおそらく大金持ちにはなっていただろう。
ベートーベンも大金持ちで亡くなったが、天才的な芸術家がその業績に相応しい収入を得ていたことはとても良いことだと思う。
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