昨日のらららクラシックでは、吉松隆がフォーレの人と作品について解説していたが、違和感が有り過ぎですっきりしない。
吉松隆が言うには、フォーレは反骨の人であり、その和音は現在のジャズの先駆けで、レクイエムの終曲のオルガンパートは現代のミニマルミュージックの先駆けである、と。
フォーレについては、伝記を以前読んだけれどほとんど覚えていないし特に興味をもって調べた訳でもないので全くの私感でしかないが、「NHKお得意の、あるストーリー(シナリオ)に沿った番組作り」がまた顔を出したな~、と思った。
フォーレが反骨の人というイメージは私にはない。
フォーレの曲を弾いたり聴いたりして受けたイメージでしかないが、フォーレは自分の感性であのような曲達をただ書いただけの人のように思う。
反骨の人が、パリ国立音楽院の院長にまで昇り詰めることはないと思う。
ジャズも知らないのでいい加減なことしか書けないが、フォーレの和音進行がジャズの先駆けとは到底思えない。
フォーレの和音感覚は若い頃から非常に個性的で、初期の歌曲の伴奏をピアノで弾いたときに、一瞬で心を鷲づかみにされるような、他の作曲家の曲には無い個性的で魅力的な一瞬に接して一気にファンになった。
まさに近代フランス音楽のはしりだったと思う。
番組では、フォーレは後のドビュッシーやフランクの音楽の先駆けと言っていたが、ドビュッシーはそのとおりだが、フランクについてはフォーレよりも昔の人だし、和音の感覚がフォーレとは全く違うので、はっきり言って間違いだと思う。
なぜフランクを持ち出したのか、意味が分からない。
おそらく、流れでつい言ってしまったのだと思うが、どうなんだろう・・・。
フォーレが後に影響を与えた作曲家を挙げるとすれば、和音の使い方から見るとプロコフィエフやショスタコーヴィッチなどの、いわゆる前衛ではない現代のクラシック音楽だと思う。
レクイエムの終曲で伴奏のオルガンが分散和音を同じ音型でずっと弾き続けるのを、ミニマルミュージックの先駆けと言っていたが、ここまでくると、もうやめてと言いたくなる。
はっきり言って、めちゃくちゃだ。
同じ音型の分散和音がずっと続く曲など、星の数ほど有る!
有名どころではバッハの平均律の1番。
ドミソドミソドミ ドミソドミソドミ の音型がずっと続くのは皆が知っている。
バッハが子供のために書いた曲にも似たようなのが有るし、他の作曲家の曲でも珍しくも何とも無い。
なのに、フォーレのレクイエムのそれはミニマルミュージックの先駆けだって?
おへそがお茶を沸かします。
今回はNHKの番組作りの悪い癖が出たなと思った。
このところはそれが影を潜めていたので、とても残念。
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